洋行日記

日々の気づきを記録していきます。

誰かの奏でが織りなす世の中

小沢健二の「ある光」を聴いていて、ふと気づいたことがある。それは、楽曲は誰かが、シンセサイザーを含めて、奏でた音のつながりで成り立っている。誰も鳴らさなかった音は、そこには存在しない。ライブなんかでは、楽譜にない意図しない音が含まれているのかもしれない。それだって、誰かの意図せざる奏でである。

 

世の中は、誰かの貢献でできている、誰かがなしたことで、世の中は溢れていると誰かが言っていた。全ての細かな奏でが織りなす音楽としての世の中。そう思えば、ひとつひとつの諸相から目や耳、全ての感覚器を遠ざけることができなくる。

 

(たしか「ある光」は、小沢健二が人気絶頂の中、すーっと日本マーケットからいなくなってしまった時の楽曲だったかな。)

https://youtu.be/I0hDOnrOLgk