20代の頃はオザケンがよく分からなかった件について
こんばんは。GW直前の花キンから土曜の入口、いかがお過ごしでしょうか。外出自粛以外は、いつもの4月下旬、すこし寒の戻りとなった今週でした。花は咲き、鳥はさえずり、風は心地よく、月は透き通るように青い。そんな一週間でした。
この夜更けにお届けするナンバーは、小沢健二「さよならなんて云えないよ」(1995年)です。曲の世界観、作り手のメッセージを捉まえ方は、年齢を重ねるごとに変わっていくものです。
ぼく自身、20代前半の頃には、小沢健二の楽曲には全然興味を持ちませんでした。大学の後輩が、カラオケといえばいつも「ラブリー」と決まっていましたが、自分から進んで歌うことはありませんでした。
それがどうでしょう、2014年3月の「笑っていいとも」に登場し、ギターを弾き語りしたずいぶん歳をとったオザケンに魅了され、それから楽曲を聴き漁るようになりました。(音楽でも本でも、はしかに罹ったように没入することが、時たま僕には起こります。
この「さよならなんて云えないよ」は、いつまでも続くと思う青い毎日はもう二度と戻らない刹那であることを気づかせます。日々に慣れっこになり、いつものつまらない一日もまた、宇宙に起きた一つの奇跡の欠片であると愛おしく感じさせてくれるのです。
そんなことは、若い20代の頃には気づけやしないものですが、オザケンはそのことを切り取り、歌にしていたのでした。
それでは、聴いて頂きましょう。小沢健二さんの「さよならなんて云えないよ」PVバージョンで、どうぞ!