今宵を彩るナンバー チェッカーズ『Blue Moon Stone』1992年
今宵を彩るナンバー
チェッカーズ『Blue Moon Stone』1992年
初めてチェッカーズの曲を取り上げて、ここ来るかーっ!って思ってもらえたら御の字です。キザギザハートとか、星屑の・・とか、Song for・・とか、ジュリアに・・とかちゃうんかい!と。
この曲は、学部生だった頃、文化祭のトライアスロン競技のカラオケで歌ったのを覚えています。その競技というのは、「マスタードべったりのホットドッグの早食い競争」→「講義棟周りマラソン」→「カラオケ」という三種混合だったのです。
早食いで腹一杯、喉カラカラの状態で、長距離走をやらされて、息の切れたところでカラオケを歌うという大学生ならでわ、素晴らしい流れの企画だったのです。どうしてボクがそれに出場することになったのかは覚えていません。
その時に、人前で唄ったのが、このBlue Mood Stoneでした。もう気分はフミヤですよ。(顔は踏みつぶされた人ですけど)
私たちには、エピソード記憶という機能があって、何か印象的なできごとのあった時のことは、連鎖的に覚えているものです。きっと忘れられない思い出っていうやつなのかな。
今宵は碧い月夜ではないですけど、聴いて頂きましょう。チェッカーズで『Blue Moon Stone』です。どうぞ!
今宵を彩るナンバー 渡辺典子『晴れ、ときどき殺人』1984年
今宵を彩るナンバー
渡辺典子『晴れ、ときどき殺人』1984年
角川三人娘と言った時に、薬師丸ひろ子と原田知世を思い出せたとしても、渡辺典子にたどり付ける人はどれくらいいるだろうか。女優業を続けている彼女のことは、『みをつくし料理帖』で見ることができるが、歌のトップテンに登場していたことを記憶している人は、きっと彼女に注目していた人である。
ちなみに、彼女は1965年北九州市生まれとのこと。
なぜかこの角川映画『晴れ、ときどき殺人』(井筒和幸監督)の原作本(赤川次郎)を持っていた。読み切ったかどうかは定かではないけど、表紙の絵柄を覚えている。この当時の角川書店は、あらゆる才能と資本を投入して、最高のエンターテインメント作品を作り出そうとしていたと思う。
『晴れ、ときどき殺人(kill me)』は、阿木燿子と宇崎竜童のゴールデン夫妻の作。殺人とは、落ちる恋のメタファー。「大人になってしまえば、たどり着けない憧れのそこは場所なのよ」そうか、この歌詞を19歳に唄わせてしまうのが、当時の角川春樹であり、阿木燿子であったのか。
今宵のナンバーは、知らない人が多いのかも。ただ、こんな楽曲が当時を彩ったことを改めて知られ、「辻井ちゃん、渋いところ突いてくるねって」思ってもらえたら、それで満足かな。それでは、聞いて頂きましょう。渡辺典子で、『晴れ、ときどき殺人』です。どうぞ!
今宵を彩るナンバー 堀江淳『メモリーグラス』1981年
今宵を彩るナンバー
この曲がリリースされた年に、ボクはまだ小学2年生だったらしい。1981年といえば、神戸ポートピア博覧会の開かれたとしだ。親に連れられて、遅い時間に帰宅したことをうっすらとまだ覚えている。たしか、あの時の会場は激混みで、暑い最中に、熱帯植物園のようなパビリオンに入ったっけかな。
いやいやいや。ポートピアのことはどうでもいいんです。今晩は、『メモリーグラス』のお話し。同じ年のリリースとしては、寺尾聰『ルビーの指輪』、松山千春『長い夜』、雅夢『愛はかげろう』、ジョージ山本『みちのくひとり旅』、松任谷由実『守ってあげたい』などなど百花繚乱の時代。この儚げな歌声は異彩を放っていました。
歌詞を切り取るとすれば、次の一節かな。
ねぇキラキラと輝くグラスには、いくつの恋が溶けてるの
ねぇキラキラと輝くグラスには、いくつの嘘が溶けてるの
この対比、「恋=嘘」と。主人公の踊り子は、そこまで言い切るつもりはないけど、憎いあいつを飲み干してやるには、「恋なんて嘘なんだ」と軽くうそぶかないとやってられない。
Youtubeでは、フルオケ版もあるけど、この生ギターの方が、情感があっていいな。演奏は、実力の6割くらいで軽く引いてる雰囲気がまた良しです。
今宵を彩るナンバー THE ALFEE『星空のディスタンス』1984年
今宵を彩るナンバー
週の半ばに差し掛かり、今宵は中休み。ぜひ、あなたの自宅にある一番ヘッドフォンで、タカミーによるエレキの奏に酔いしれて下さいませ。
改めて歌詞を聴いているともう死語かもしれない"遠恋"の話のようであります。500マイル(だいたい800キロメートル)離れた町に住んでいる相手に会えなくて泣き叫ぶ心。800キロといえば、だいたい東京ー広島間、福岡ー上海間かあ。1984年当時だったら、電話するにも料金が気になる距離だなあ。今ならLINEで通話できるからね。「急げこの愛ぃいぃい!」みたいになるんやろうか。
そんな詰まらない妄想は置いといて、力強い音楽に耳を傾けて、週の後半を乗り切ろうじゃないか!それでは、聞いてみよう。THE ALFEEで『星空のディスタンス』どうぞ!
図らずも昨晩とその前の『風の谷のナウシカ』、『雨音はショパンの調べ』と同じ年のリリース。百花繚乱の年だなあ。
今宵を彩るナンバー 小林麻美『雨音はショパンの調べ』1984年
今宵を彩るナンバー THE HIGH-LOWS『日曜日よりの使者』2004年
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THE HIGH-LOWS『日曜日よりの使者』2004年
この曲を選んだのは、題名に「日曜日」が付いているという安直な理由に過ぎませんので、どうぞあしからず。(笑)
忙しい毎日、日曜日が来ると思うからこそ頑張れる。そんな重いを共にする人たちの心を打つ一曲です。日曜日が象徴する休日、解放感、自由。日曜日からの使者は、心を沸き立たせ、働く自分を癒やしてくれるのです。
ボクのところにやってくる日曜日よりの使者は、どんな格好をしているのだろう。ビールかな、庭の草木かな。
それでは、聴いて頂きましょう。THE HIGH-LOWSがリリースした22枚目のシングル『日曜日よりの使者』です。
今宵を彩るナンバー 斉藤由貴『土曜日のタマネギ』1986年
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斉藤由貴『土曜日のタマネギ』1986年
土曜日を描く楽曲はいくつもありますが、この少し蒸し暑い宵の口には、この歌声が清涼感をもたらしてくれます。
斉藤由貴といえば、ボクにとって初めてのアイドルです。デビューシングルの『卒業』で心を鷲づかみにされたメンズは少なくないはず。その後、ドラマ『スケバン刑事』や『はね駒』で、その流れで黒柳徹子原作の映画『トットチャンネル』を奈良市の映画館まで見に行ったことを覚えてる。
ぐつぐつ煮込み過ぎた鍋底にこびり付いたタマネギに自分を重ねる彼女は、床に突っ伏したまま、後悔の日曜朝を迎えるのでしょうか。このポトフと食べるはずだった相手はいったいいずこへ?
そんなことを妄想しながら聴いて下さい。当時20歳の斉藤由貴のリリース6曲目のシングルです『土曜日のたまねぎ』です。どうぞ!
今宵を彩るナンバー 及川光博『バラ色の人生 La vie en rose』1999年
今宵を彩るナンバー
及川光博『バラ色の人生 La vie en rose』1999年
君は、ミッチーのライブに行ったことがあるかぁ?ボクは2度ほどあるぞー。(笑)彼こそ、金曜の夜を彩るにふさわしい。これだけ、計算し尽くされた王子キャラを演じきられる才能を他に見ることができるだろうか。
歌?歌はいいのです。歌詞?歌詞もいいのです。ただこのミッチーが創り上げている世界観に浸ればいいのです。全ての悲しみをかなぐり捨てて、ここから新しい人生をはじめよう!理屈や裏付けは不要。ただ、笑っていえば心も明るくなるよ。
醸し出す雰囲気に根強いファンはもう3世代に及ぶという。
もし食わず嫌いでしたら、いちど覗いてみようミッチーの世界を!
それでは、金曜の夜です。素敵な週末になりますように。
及川光博『バラ色の人生 La vie en rose』ライブバージョンでどうぞ!
今宵を彩るナンバー 奥田民生『さすらい』1998年
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奥田民生『さすらい』1998年
「新しい生活様式」時代の「さすらい」とは、どういうものになるのか、ふと気になった。21世紀の大旅行時代が、あっけなく終焉した2020年、勝手気ままにプラプラと国を越えてさすらう時は再び訪れるのだろうか。さすらいは、特段の目当て無く、足の向くまま気の向くまま渡り歩くことである。そう、寅さんのようにね。寅さんは、日本の中をさすらった。
時に、星野リゾートの星野さんは、マイクロツーリズムの時代になると言っていたのを聞いた。それは、旅行業界の願いなのか、それとも実際になるのだろうか。
「さすらいもしないで 死なねえぞ」と奥田民生は雄叫ぶ。
ガイドブックの景色を確かめにいくような生き方は捨てようと。まあ、大してさすらいもせずによく言うよね、オレ。
さて、外出自粛が明けても、県境をまたぐ移動は、まだ控えようとのこと。世界は遠いなあ。ただし、心の中の世界は、地球よりももっと広いものにできるかもしれないよ。
では聴いて頂きましょう。奥田民生で『さすらい』です。オリジナルPVでどうぞ!
今宵を彩るナンバー 井上陽水『5月の別れ』1993年
今宵を彩るナンバー 尾崎豊『太陽の破片』1988年
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尾崎豊『太陽の破片』1988年
1992年に26歳で夭逝した尾崎豊については、好き嫌いの差が大きいに違いない。
高校生の頃から、ボクは彼の楽曲を消費するばかりだった。「若者の代弁者」といったレッテルが貼られていたのも覚えている。ただ、のほほんと過ごしていた一人の高校生にとっては、特に自分の内面を変わりに吐露してくれているという思いは無かったが、なんとなく歌詞の世界や楽曲の作りが格好いいとは思っていた。
彼はきっと人一倍、自身の内外両面に対して感度の高いセンサーを持っていた人であり、時にそれが過敏となり、メンタルがそれに耐えられなくなって、暴発することがあった。
社会のあり方に懐疑的であり、真実の愛の姿を求めて戦うアーティストという印象を持っていたが、会社を設立運営し、楽曲を経済活動としてリリースし、予定通りに番組に出演してパフォーマンスを披露するというのは、常識的で社会に順応しているからこそなせることである。
唄い手も絵描きも、ボクは妖精なんだと思うことがある。この世とあの世を行き来するような特別な存在という意味で。
彼らの中には、自身の鋭敏なセンサーが心に奏でる不協和音が生み出す内なる毒を吐露して作品を生み出す人たちがいる。尾崎豊はその一人であり、作品を作る度に身を削って行く唄い手だったと思う。
子どもの頃から山や川で遊び、のほほんと生きて来たボクにとっては、尾崎豊は余りにも異質であり、それが魅力的に映ったのかもしれない。都会に生きる同世代人への田舎者の憧れともいえるだろう。
今日の楽曲は重いよ。これ聴いたら眠れなくなるかもよ。
それでは、覚悟して聴いて下さい。尾崎豊で『太陽の破片』です。どうぞ!
今宵を彩るナンバー 沢田研二「勝手にしやがれ」(1977年)
今宵を彩るナンバー
勝手にしやがれ!はじめて聴く人も「嵐にしやがれ!」なら知っているでしょう。そう、「嵐にしやがれ!」という番組タイトルはこの楽曲へのオマージュであることを知っておいて欲しい。(しらんけど・・・)
ジュリー(沢田研二の愛称)は、この曲で日本レコード大賞を受賞し、名実ともに日本一の唄い手として押しも押されぬスターとなった。そう、彼こそスターだ!
ロングヒットを続けた1975年の「時の過ぎゆくままに」から2年、さらに、ダーリング(1978年)、カサブランカ・ダンティ(1979年)と失われたダンディズムを歌い、その後のTOKIO(1980年)ではビジュアル系としてのスタイルを確立した!
そんなテレビ時代の歌手の華やかさはさることながら、聴いて欲しいのは、このキレッキレのボーカル。甘く、切なく、時には乱暴に、歌声の自在な展開をぜひ良いスピーカーやヘッドホンで聴き惚れて欲しいもの。
この曲では、出て行く相手に強気な台詞を吐きつつ、ああもう俺にはお手上げ、もうゴメンナサイ、酔っ払って崩れていきますと観念しています。強気な台詞と垣間見せる弱気とのギャップが、当時の聞き手の心をつかんだのでしょうか。
それでは、聴いて頂きましょう。沢田研二で「勝手にしやがれ」です。こんなキラキラ観たっぷりのライトニングはなかなか見れないよ。(笑)
今宵を彩るナンバー THE BOOM『星のラブレター』1989年
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THE BOOMといえば、1992年リリースされた『島唄』が有名で、一世風靡したわけですが、ボクがはじめに覚えたのは、この曲でした。
SKAのリズムに、「ド」の付くストレートな歌詞は、若さ炸裂です。やっぱりその世代にしか書けない、歌えない歌っていうのがあるわけです。
この10-20歳代の男子が持っている衝動性、前頭葉の発達がまだ完了し切っていないからこそ生み出せるもの。その青さを、いくらか、まだなんとなく47歳の自分が覚えているわけです。それがなんとも、懐かしく、また気持ち悪くもあります。
どのように歩みを進めようとも、過去は消えさらず、未来はそれと無縁ではいられない。ただ後悔はなく、最良の歩みを続けるのみ。
さて、昨日とは違う風の夜、目蓋の裏に輝く星空をイメージしながら聴いて下さい。THE BOOM『星のラブレター』です。
YouTubeで探し当てた音源の内で、最もボーカルがキレているものをご紹介します。